映画『女優は泣かない』

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・だいすきな伊藤万理華ちゃんが出ている映画!やった〜!

・不倫スキャンダル直後の女優さん(蓮佛美沙子さん)と、本当はドラマを撮りたいのにチャンスがなくくすぶってるADさん(伊藤万理華さん)のふたりが、おおむねやらせでドキュメンタリーを撮るというお話。

・撮る側は女優さんの故郷の美しい自然とか、過去を懐かしんで振り返っている場面とか、家族や友人との話す場面とかを撮ったりしたくていろいろ仕込んだり画策したりするものの、撮られる側としては父と喧嘩別れをして以来家族と10年ろくに会ってなく、母は死に、姉や弟も自分に対して思うところがあり、外に出せる家族の話はない。さらに高校中退で友達もいない。でも地元出身の有名人なので町を歩けば同級生やその親に声をかけられたり応援されたりするなど面は割れていて、そういうのにも辟易しているという状況。

・主演ふたりとも生きるのがあまりにも下手すぎてンモーーー!!下手すぎ!!!!!!と思った。

・まず、この映画の「それでもすがりつく。私にはこれしかできないから。」というキャッチコピーが気になっていた。芸能や表現の仕事に身を賭してる人からしばしば発せられるその、「これしかない」「これしかできない」というフレーズがいつも気になる。

・第三者からすればどういう場面であっても「これしかない」ということはたぶんなく、他にいくらでも選択肢はあるだろうというなかで本人は絶対にそう思っていない、そのひとの目にはそれしか見えていない、ずっと遠くの目標を目指すまっすぐさや視野の狭さを目の前にするたびそれにあこがれてしまう。

・がしかし、『女優は泣かない』の主演ふたりはあまりにも不器用で、見ていてひたすらもどかしい。なにかと不貞腐れたり素直に謝ることができなかったり焦ったり言いわけしたり。女優なのに演技が下手だったり、ADなのに段取りポンコツだったり。

・特に万理華ちゃん演じるADさんはふたりの作品のなかに残らない台詞や表情や空気感みたいなものを全部とりこぼしつづけていて、目の前のそれを撮るべき対象だと捉えられていないのが本当に歯がゆかった。今!!今ーーー!!カメラを回せーーーー!!!と何回も思った。

・ADさんが何をいい画だと思っていて、なぜそれを撮れないのか、観ている側にはなんとなくわかる気がする。時間も予算もない。焦っている。女優さんのことを軽視している。キャラクター本人の「ドラマ班に移りたい」という熱意と執着、映像への作り込み願望が強すぎる。あとこの映画の「ドキュメンタリーを撮る人たちを撮る」という構造上(こういうのなんて言うんだろう?)、まわりが見えていなくて空回りばかりして、けしてそれに気がついてはいけない立場にいる。その全部に納得がいく。惨めさもやりきれなさも、思うようにいかないすべてへの気持ちが伝わる。

・だから最後の最後、何を撮るべきか、どうすればそれを撮ることができるのかに気づくことができたんだなあと感じさせられる終わり方だったのがとてもよかった。つくる側にいて、でもべつに何もかも理想通りでうまくいってるわけではなく創作意欲はつねに負の感情に由来している、そういうひとが信じているそのひとにとっての「これしかない」を信じたくなりました。信じます。

 

 

・そんなふうにふたりを「不器用だな……」など思いながら観ていたのでパフェやおじさんという引っ掛かるべきところで引っ掛からず見逃しており、ファミレスの回想でぼろっと泣いてしまった。とてもいいシーンだった。

蓮佛美沙子さん、はじめてみたんだけどこの役の印象が強すぎる。素顔がこういうひとなんだろうな〜としか思えなかった。今夜すきやきだよのあいこちゃん役とのことで、また今夜すきやきだよを観なくちゃいけない理由が増えてしまった。

・ラストの空港でのシーン、ちょうかわいかった。

伊藤万理華さんの演じる役の煽り耐性のなさが本当にすきすぎる。ちょっと煽られたりみくびられたりしただけで瞬間的にムカついてムシャクシャして、そこまで言われて黙ってられっか絶対見返す今にみてろよのモードに入るのが本当にいい。好きだ。

・冒頭ら万理華ちゃん運転してる〜!と思った。あと松葉杖ついてたのに正座してるシーンで度肝は抜かれた。

吉田仁人くん、やさしい弟だった。熊本弁と鹿児島弁のちがいもわからないんですけど方言が自然でかわいかった。